第11回:バレエ解剖学1「長く楽しく踊り続けられる体づくりとは」
第6回パリ・オペラ座バレエ学校教師による夏期講習会2017にて
アナトミー&コンディショニングを担当する扇谷、伊藤によるコラムを全3回に渡ってお届けします。
各講師のプロフィールはこちらをご覧下さい。
「長く楽しく踊り続けられる体づくりとは」
長期的なビジョンの必要性
講習会のコンセプトの一つに、“長く楽しく踊り続けられる体づくり”というものがありますが、この点をコンセプトとして挙げられている理由を教えてください。
伊藤)
バレエをやっていると直面するのがケガや故障の問題です。プロ、アマチュアを問わず、ケガが原因でバレエをやめるという人がとても多い。
ケガの原因は様々ですが、そこには、バレエをしている人たちが、体のコンディショニングについて知らなかったり、無関心だったり。たとえ関心を持っていたとしても、実際にどこで何を学べば良いのかという知識や情報を持ち合わせていないことが背景にあると思います。
扇谷)
その典型的な例が“外反母趾”ですね。小学生が外反母趾になっている、ということは、異常な事態と言えると思うのですが、なぜか「バレエをやっているんだから仕方ない」で済ませてしまう指導者の方や親御さんがいらっしゃるんですよね。
外反母趾が、将来、寝たきりになるかならないか、さらには寿命にも関わるような大きな問題だと認識していない人がとても多い。
外反母趾が寿命に関わるのですか?
扇谷)
例えば、寝たきりなど要介護状態になる原因のトップは運動器の障害です。足腰が弱って自力で立ったり歩いたりできなくなると、寝たきりになるリスクがぐっと高まるわけです。
そしてこれは経験から言うのですが、変形性股関節症など膝の痛みや股関節の痛みを訴える方々に共通して多いのが外反母趾です。施術をしていると、外反母趾のために親指で地面を踏み込めず、結果として膝や股関節に負担がかかっていることがよくわかります。
つまり外反母趾が原因で足や腰に故障を抱えると、寝たきりになる可能性が高まるということですね。ちなみに、寝たきりになってからの余命は男性で9年、女性で12年くらいと言われています。
なるほど、体の基礎である足にトラブルを抱えると、体全体に支障が出てくるのですね。
扇谷)せっかく健康的な運動をやっていたのに、それがもとで、将来のいろんな可能性が潰れていってしまったり、健康に不安を抱えることになっていく。それが小学生の頃から起っているというのは、コンディショニングの世界で体のことを見ている立場からすると、かなり大変な状況ではないかと思います。
伊藤)
バレエを続けるにせよ、そうでないにせよ、長く人生は続いていくわけです。実際、この講習会に来てくださる生徒さんの何人がバレリーナになれるかといったら、正直なところ本当に少ない。どんなに頑張っても、実際にはなれない人の方が多いんです。
それなのに、正しい知識を持たず、無理なレッスン、体の使い方をした結果、30年後、40年後、ひどい腰痛に悩まされるだとか、外反母趾が悪化して歩けなくなるだとか・・・。せっかくバレエが好きで頑張ったのに、ちょっと悲しいですよね。
そういったこともあり得るのだと念頭に置いた上で、どちらにしても、その先の人生を考え、長期的なビジョンを持ってバレエをやっていくというのが一番大事だと思います。
“無理”や“我慢”は美徳ではない
バレエのレッスンでは、どこかで『痛くてもしょうがない』というような考え方があるように思われます。
伊藤)
そうですね、バレエという芸術にあっては、痛みを我慢して無理をするからこそ美しいというような言い方が、どこにおいても、というわけではないですが、多くの場でまことしやかに語られてきているように思います。
もちろん、限界を超えていく作業を積み重ねていくからこそ、バレエの美が生まれるのですが、解剖学的に見ると、無理な動きは、けっして美しくないですし、痛みを抱えて、うまく動けるはずはないのです。
扇谷)
きちんとコンディショニングをして、バレエのレッスンの中で、体を正しく使えば、外反母趾にならなくても、脚はちゃんと動くし、トゥシューズが履けるということを理解してもらいたいですね。本当は無理しなくてもできるはずのことが、無理をしている時点で問題だということに気づいてほしいと思います。
痛みはしょうがない、で済ましていた結果、さっきも述べたように、将来の様々な可能性が潰れてしまったり、健康に不安を抱えることになるかもしれない。
体の不調はメンタルにも影響する
伊藤)
体が常に無理をしている状態になると、メンタル面でもよくない方向にいってしまいがちです。私自身も、体のトラブルが原因で、鬱状態になったことがありますし、まわりのバレエ仲間にもそういったメンタルの問題を抱えた子が多かったように思います。大変な思いをして、バレエを辞めていったり、バレエを見るのも嫌になってしまった人もいます。そして、自分の人生を肯定できなくなる場合も・・・。
本来、バレエという芸術は、その人の人生をより豊かにする可能性があると思いますし、それとは逆の状況になってしまうというのは、やはり残念です。長く楽しく踊るために、そして、よりよく生きていくためにも、まずは自分の体を知ることに十分に時間を費やしてもらいたいです。
体と心は密接に結びついているのですね。他にも、そういったことはあるのでしょうか?
扇谷)
バレエをしていて自律神経のバランスを崩してしまう人がいますね。バレエは強く内臓を引き上げた胸式呼吸になる動きが多い。そのためか、普段の呼吸が浅くなっている人をよく見かけます。
もちろん踊っている時は胸式呼吸で良いのですが、胸式呼吸は交感神経を活性化するので、休息するためには副交感神経にバトンタッチする必要があります。
それができないと、眠りが浅くなったり、神経が過敏になってイライラしてしまったりする。そういう意味で、自律神経と呼吸についての知識をもっていると、メンタル面でのセルフコントロールに役立ちます。
体を知れば、もっと動ける。もっと踊れる
扇谷)
体と心のトラブルの話をしましたが、体について知ることは、そういった問題を防ぐだけではありません。体のことを知ることで、よりよく動けるようになるということも知ってほしいし、体験してほしいですね。
うまく動けていない人は、実は、骨や関節の位置を間違って理解したりしている人が多いのです。例えば、股関節の位置はどこなのか、そこから脚がどういう風についているのか、どういう仕組みになっているのかということを知るだけでも、動きがぐんと良くなります。
伊藤)
私自身、もっと早くに解剖学やコンディショニングを学んでいれば、もっとうまく踊れただろうな、可能性を生かせただろうな、という気持ちがあります。だから、今、バレエが好きだけど、なかなか結果を出せないで、もどかしい思いをしている人たちが、うまく動けるように、そして、楽しく踊れるようになるための体づくりを伝えていきたいなと思っています。
扇谷)
バレエをやるほどにつらくなるのではなく、解剖学的に正しく動けば、体が良くなって、もっと上手に踊れるようになる可能性があるので、そこを僕たちも協力出来ればいいなと思いますね。
講習会をより有意義に
伊藤)
この講習会では、パリ・オペラ座バレエ学校よりマーク先生とミュリエル先生をお招きして、フランスバレエの伝統やエッセンス、そして、一流の先生方のエネルギーを含め、本場のバレエを日本にいながらにして学んで頂きたいと考えています。
一方で、パリ・オペラ座の教育と日本のバレエ教育の間には、かなりギャップがあるのも事実です。
マーク先生とミュリエル先生が普段教えていらっしゃるのは、プロのダンサーになるべく、選ばれた生徒たち。体の条件も、バレエに向いている人たちしかいません。対して、日本では、様々な条件の人たちがバレエを学んでいます。中には、体の条件が悪い人もいるわけです。
扇谷)
「条件が悪い」と言った時に、もちろん、先天的に股関節などに問題を抱えているという人たちもいますが、パーセンテージとしてはとても少なくて、後天的な条件の悪さというものがほとんどです。ですから、そういった条件の悪さ、というのは実はコンディショニングで変えていくこともできるのです。バレエのクラスを受ける前に、コンディショニングできちんとしたスタートラインに立たせてあげることで、体の動きも良くなり、そうすればテクニックもついてくるはずです。
伊藤)
そうして、オペラ座の先生方のクラスを受ける前に、無理なくターンアウトできる状態をつくる、無理のないアライメントをつくる、というように体のコンディションを整えておくことで、彼らのクラスのエッセンスをより効果的に取り入れることができると思います。
また、マーク先生もミュリエル先生も、もちろん、解剖学の知識を豊富にお持ちですが、骨や筋肉、感覚といったとても専門的で繊細な部分は、外国語で説明されても分かりにくい部分があるように思います。通訳がつくとはいえ、言葉や感性のギャップは想像以上に大きい。
ですから、日本人講師が、日本語で分かりやすく、生徒がすぐに体の感覚をつかめるようなクラスも用意し、そういった溝を埋めて、受講生がオペラ座の先生方のクラスで、より多くのものを吸収できるようにしていきたいと考えています。
(インタビュー・テキスト:筒井志歩)